まどかマギカをアート・アニメーションと述べることについての疑問
アート・アニメーション、という言葉を見かけたので調べてみるとこんな記事を見つけました。
ここで取り上げられているのは作画デザインがアートすぎるアニメたち、ということで厳密にはアート・アニメーションについてのものではありませんが、最後にまどかマギカが取り上げられています。
おや、と思いました。
メインストリームというわけではありませんが、検索してみるとちょこちょこまどかマギカをアート・アニメーションとして取り扱っている発言に行き当たります。*1
個人的な感想としてはそうだったのか……? という印象。
イヌカレー空間とか演出的なのはもちろんアート・アニメーションらしいところだとは思うんだけど、あれ結局骨の髄まで大衆向けじゃないですか。アートってそんな広範囲につけていいもんなんでしょうか。
これは私のアート(芸術)観の問題でもあるのであまり共感されないだろうとは思うですが、私のなかで関連するのは純文学と大衆文学の違いです。
純文学は芸術性に重きを置いたもの、大衆文学は娯楽性に重きを置いたものとして考えると、*2アニメで対応するのは、アート・アニメーションは芸術性に重きを置いたもので、大衆文学は商業アニメとなります。*3
例えばまどかマギカのイヌカレー空間等の参照先については明らかにアート・アニメーションだと私は判断するし、芸術性を楽しむものなのでしょう。ですが、まどマギに関して言えばイヌカレー空間や新房演出は確かに芸術性を内包するものの、ただあれはストーリー上の演出であって、娯楽性を生み出す装置の役割です。
仮に”芸術性を内包する”ということをアートとしてしまうなら、世にあるすべてのアニメは芸術性を孕んでいるだろうし、アート・アニメーションとなってしまいます。それはアート・アニメーションや純文学という定義や分類の必要性を揺るがします。*4定義のあやふやな言葉は、それ自体の価値を失墜させます。それを望ましいことだとは思いません。
個人的な意見とすれば、その作品の芸術性というのは、その作品の作られた目的から定義されるべきなんじゃないかと考えています。芸術作品として作られたのであれば純文学であるしアート・アニメーションと定義してよかろうと。*5またもう一つの条件としてはそれが芸術性を孕んでいると受け手から認識をされることです。両者の相互承認があり始めて成立するのではないかと。
だから、まどかマギカはアート・アニメーション足り得ません。あれの本質がアートであるとは思いませんし、私はあれを芸術とは思いません。けれどあれが製作者サイドからまどかマギカという作品は芸術であるという意思表明があるならば芸術であると認識を改めましょう。というのが結論。
とはいえ、この記事自体は例えば多くのアート・アニメーションとしての言説ではなく、ふわふわしたその語感から意味を付与されたアート・アニメーションの言説をぶん殴るためのものです。*6
そもそも、アート・アニメーションという言葉はそもそも定義自体があやふやなのでなんとも言及しにくいものですが、あえてそこを切り取ってぶん殴っている記事だと把握していただければというのが言い訳。
ただアニメを商業的でない意味で、なんらかの表現を用いて評価し救い上げるという行為自体には個人的には賛同したいところではあります。しかしアートという言葉で(手軽に、簡単に)述べてしまうのは違うだろうのが感覚的なところです。