『アダム・スミス-『道徳的感情論』と『国富論』の世界』 - 堂目卓生
「最近おもしろかった本」というお題に沿って(まあ実際はそういう意図で書いていませんが)、本の紹介。タイトルの通りアダムスミスについての新書です。
アダム・スミス―『道徳感情論』と『国富論』の世界 (中公新書)
- 作者: 堂目卓生
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 2008/03
- メディア: 新書
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さて、アダム・スミスという名前からどういった人物像をイメージするでしょうか。
彼に対しての通説的な見方は、「市場万能主義の守護神」だとか、市場経済において、各個人が利益追求行動が市場メカニズムが調整機能を通じて社会全体の幸福につながるという「神の見えざる手」といった考え方を提唱した人物、「経済学の父」といったところなのかなと思います。翻って自らの利益のみを追求する合理的な経済人間というモデルも、彼によって考えられたという先入観もあるかもしれません。
事実、私もそう考えていました。
ですが、この『アダム・スミス-『道徳的感情論』と『国富論』の世界』はそういった彼に対する上記のような誤解を、彼の著書である『道徳的感情論』と『国富論』を通じて解こうというものです。
――スミスは神の見えざる手という表現を国富論で使用していなかった。私にとってまずこの点が衝撃ででした。
確かにスミスは、市場の価格調整メカニズムを通じて、公共の利益を促進すると考えていました。しかし、市場が公共の利益を促進するためには、市場参加者個人の利己心だけでなく、フェアプレーの精神が不可欠だと彼は考えていたのです。道徳的感情論において徳の道と財産の道への追求と関連付けされて述べられており、財産の道を追求しすぎれば社会秩序は崩壊するのだとスミスは述べていたそうなのです(詳しくは本著を読んで確認していただければ)。
つまり古典経済学の祖であるアダム・スミスが想定していた人間というのは、合理的な経済人間というモデルではなく、社会性のある人間でした。
ではなぜ今(といっても2008年の図書ではあるが)、アダム・スミスが注目されたのでしょうか。
それは著者のあとがきにて若干述べられている、行動経済学という学問分野にあります。2002年にダニエル・カーネマンがノーベル経済学賞を受賞したことで注目され始めたのが行動経済学です。行動経済学は、古典経済学の合理的な経済人間というモデルを見直し、実験的手法やアンケート調査を通じて、より実際の人間行動に近い仮定を打ち立てようという分野です。
著者の言うとおり、経験と観察を通じて行動仮説を立てる点・人間を社会的存在としてとらえ、感情や慣習の影響を重視する点において、アダム・スミスの方法や考え方に近いといえる、のです。
経済学の古典から、現代の新しい経済学への道を読み解く、「今」読む価値のある一冊だと私は思いました。