2016冬季「ライトノベル原作」アニメのおすすめポイントみたいなもの
2016冬季「ライトノベル原作」アニメのおすすめポイントみたいなもの、です。ちょこちょこっと自分が気になったポイントまとめみたいな感じですね。
灰と幻想のグリムガル
アニメ版スタッフはアニメ映画「ねらわれた学園」(http://www.neragaku.com/)の主要スタッフ、といった感じだったはず。監督・脚本:中村亮介×キャラクターデザイン:細居美恵子のタッグです。*1
知らぬ間にどこか別の「ゲームのような」世界にいた主人公たちがなんとかその世界で生きようともがき進んでいく、というようなお話。
ここだけ読めば異世界転生もののテンプレートだけれど、ただそのどうにかして“生きる”というところに焦点が当たっているのが、この作品の特徴だと思います。
どうも原作のキャラクターデザインをそのままおこすのではなし、ストーリーもまんま原作再現ということではないということなので原作ファンとしてもどう展開してくれるのか、楽しみなつくりになっています。
原作はだいぶ泥臭い世界観とストーリーですが、アニメ版では映像としてかなりバランスよく仕上がるんじゃないでしょうか。
ちょっと無双系の話が好きな方には合わないやも。ぱっと設定をみるとSAOや最近だとオーバーロードのようではありますが、メインストーリーの展開としてはかなり異なります。
ただSAOの生活感みたいなものが好きな方には受けるかなと。
あと声優として照井春佳さんが出演されていますので観るしかないでしょう。はい。
無彩限のファントム・ワールド
製作は京都アニメーション。キャラクターデザインはしらびさん。声優も豪華。ここらへん踏まえつつ、とりあえず観ようかなという作品。
学園異能ファンタジー、かつダメダメチームの成り上がりもの。これは空戦魔道士候補生の再来……?*2
原作の評価(ここではAmazonレビューの星参考)はこのクールのなかでも低めではありますが*3、京アニはわりかし勢いよく原作改変してくる印象があるので、一概にストーリーは大衆向けではないかもと言えないのがずるいところですね。6話くらいまでは観て判断したいところ。
こういうこというとアレですが、PVを観たところ、近年の京アニにしては珍しく明確に“男性向け”な作品という印象があります。ブルマ然り巨乳強調然り乳袋然り謎妖精然り。*4
最弱無敗の神装機竜
監督:安藤正臣(がっこうぐらし)
シリーズ構成:柿原優子(ちはやふる2)
総作画監督:黒澤桂子(がっこうぐらし)
製作会社:ラルケということで、スタッフは実質がっこうぐらしっぽい。PVを観るところ作画も良好、3Dもそれほど違和感なくなじんでいるしわりかし期待してます。
遺跡から発掘された、古代兵器・機竜。
亡国の王子、ルクスはなぜか、機竜使い育成の女学園に入学することに……!?
王国士官学園の貴族子女たちに囲まれた、“最強”の学園ファンタジーバトルが始まる!
そしてこのイントロダクション(HPより引用)、ここまで“最強”を真正面から押されると逆に気持ちいい。変に複雑でなくド直球な感じが好印象ですね。楽しみになってきた。
原作の方もAmazonレビューで平均☆3程度となかなか評判はよさげなので、ストーリーもある程度期待ではないでしょうか。
声優陣も新人声優の起用が多いように思うけれど、主役は田村睦心さんだしこれだけでも観る価値がありますね。
ハルチカ~ハルタとチカは青春する~
製作:P.A.WORKS 監督:橋本昌和(TARITARI) 脚本:吉田玲子、とくるとわりと安心感を持って観れるかなと。原作の評判もよさそうですし。
かつキャラ原案なまにくATK(チャイカ)×キャラデザ西田亜沙子(ラ!)とくると、キャラクターは実質最強感がありますね、いやなにがとはいいませんけれど。
ストーリーとしては
廃部の危機にあった弱小吹奏楽部に所属するハルタとチカが、校内で起こる様々な事件(日常の謎)を解決する。推理小説だが、吹奏楽の甲子園・普門館(全日本吹奏楽コンクール)出場を目指す青春小説の面もあり、また同じ人を好きになった2人が対立する恋愛小説の面もある。
(wikipedia)ということで、ちょっと多面的ではありますが、題材的にはP.A.にぴったりなんじゃないかと思います。
この素晴らしい世界に祝福を!
監督は金崎貴臣(東京レイヴンス)、シリーズ構成に上江洲誠(アルスラーン戦記)とスタッフ的に安定。アクションもの、というよりはギャグコメディという印象を受ける作品なのでniconicoやらまとめサイトやらでけっこう盛り上がりそうです。
原作はなろうから商業デビュー、安定(と言ってしまうと偏見ではあるけれど)の異世界転生ものですね。
RPGゲームのような異世界で、憧れの冒険者生活エンジョイ!めざせ勇者!
……と舞い上がったのも束の間、異世界に転生したカズマの目下緊急の難問は、
なんと生活費の工面だった!
という公式HP*5
他、漫画原作とかオリジナルアニメとか簡単に
- 紅殻のパンドラ
原案:士郎正宗 作画:六道神士の漫画が原作。KAWAII!女の子が主役のSF、是非観よう!
2.だがしかし
駄菓子プレゼン漫画。30分アニメということでどうなるか一抹の不安はあるものの、プレゼンの参考にもなるはずだしなんといってもサヤ師がかわいすぎるので観よう!
3.てーきゅう7期
クソアニメ、観よう! いや、観よう!
4.おしえて!ギャル子ちゃん
エロい、観よう!
5.魔法少女なんてもういいですから。
アーススター原作、アーススターエンターテイメントのためにも観よう!
6.大屋さんは思春期!
きらら枠、木戸ちゃんも出るし観よう!
男性声優が豪華すぎて白目、観よう!
8.アクティヴレイド
ロボアニメ枠。キャラ原案Tosh×キャラデザ西田亜沙子、男性キャラは格好いいし女性キャラはエロい! 観よう!
以上「ライトノベル原作」アニメおすすめポイント特集および適当にそれ以外のアニメポイント紹介でした。
書いてて思ったんですが冬期アニメはひょっとするとめちゃくちゃ豊作かもしれません、一本でも楽しめるアニメが多ければと思います。
ではでは。
*1:アニメ「ねらわれた学園」はめちゃくちゃきらきらしていて、このコンビの良さがよくでていると思うので是非一度観てほしいです。
画面として例えば海や木漏れ日、カメラのフレアといった光が存分に取り入れられている。色鮮やかで、少し眩しすぎるくらいの演出はある意味青春を象徴しているような気がします。そしてこれは実写では、文字では演出できない効果で、アニメーションとしての持ち味を押し出しています。
公式HPの監督の特別対談(http://www.neragaku.com/special01.html)も合わせて読んでいただけると(もちろん視聴後に)より楽しめると思います。余談でした。
*2:ジョークです
*3:
Amazonレビューを信用してはいけない、いいね?
*4:と思ったんですけどそういえば経営学部必修アニメたる天城ブリリアントパークがありましたね……
*5:の作品紹介からもわかる通り、アレですね、はたらく魔王様の逆バージョンみたいな。
同クールでは灰と幻想のグリムガルがありますが、あちらは基本冒険と生活がメインでコメディ要素は少なめなので、うまく差別化が図られそうです。((とはいえ2015秋期「アスタリスク」と「落第騎士」のような“醜悪”な盛り上がり方がなされないと良いのですが……、少し厭な予感がします
『Blooming♡Blooming』のステージでみる大空あかりの成長―アニメアイカツ!160話感想―
はじめに
アイカツ!アニメ160話「夢はパーフェクトアイドル!」が放送されました。
今回はあかり(というか瀬名翼)を尾け回すアイドル西園寺つばきが登場。西園寺つばきはちゃおで連載されている漫画の主役のようですね。
「大空あかりのいるところに瀬名翼あり!」とちょいとメタっぽい(とはいえ確かに瀬名くんいつもあかりの大きなステージ前にはふらっと登場するので物語内でも噂になってそうではありますが)動機を引っ提げて、ドリーミークラウンのプレミアムドレスをもらうために西園寺つばきが大空あかりのストーカー(?)をするというのが今回のお話。
本編についてちょこっと
本編に関してはちょっとネタ回の趣溢れる話でしたが、中盤、一向に瀬名翼と遭遇できずに落ち込むつばきに対してのあかりの
「一緒にアイカツしよう!」「私たちは頑張ってアイカツするしかない」「頑張れば必ずアツい思いは届くはず。」
というセリフはつばきへの励ましと同時に、123話からの繰り返しでもあり、あかり自身のいちごや瀬名翼、先輩アイドルに対しての思いとも重なる重要なセリフになっていました。
北大路さくらと大空あかりのステージ比較
そしてステージは『Blooming♡Blooming』。123話「春のブーケ」(大空あかり)124話の「クイーンの花」(北大路さくら)以来でした、たぶん。
舞台とストーリーとしては123話をなぞっていますが、ステージは124話の北大路さくらと同じような構成となっています。以下キャプ。
前奏部分は123話(左)と160話(右)は同じ構成・カメラです。
それ以降は124話(左)160話(右)北大路さくらと大空あかりとの比較。
ここのパートだけアングルが逆からになっています。
「かないはじめたゆめがはじけて」のあたりですね。
とりあえずキャプは以上。
ステージでみる大空あかりの成長
前述してある通り前奏部分は、123話の新人当時と同じ構成。変化していない部分。
124話のスターライトクイーンカップはそれと同じステージを行ったものの、一回戦で敗退してしまいました。それでも、当時の彼女にはそれが精いっぱいのステージでした。
じゃあ今はどうだろう。125話でスターライトクイーンになると宣言して、1年から2年に進級して先輩になって、経験を重ねた大空あかりであればどうなるのだろう。
その答えを示したのが、今回のステージと言えるんじゃあないでしょうか。
以前は北大路さくらのステージには到底及びません。ちょっと今回は123話のステージに関しては検討してませんががが、ダンスのキレやステージの構成、オーラの量など北大路さくらとの差が明確です。(参考にどうぞ【アイカツ!】2人の「Blooming♡Blooming」を合わせてみた【さくら&あかり】 ‐ ニコニコ動画:GINZA)
ただ今回のステージはダンスのキレもステージの構成も、そしてオーラの量も上記キャプのように比べてみてもほとんど差をみつけることができません。ちょっとさくらのほうが引きのアングルが多いといった程度でしょうか。
そしてフィーバーアピールでは前回は開けるだけだった扉をくぐって先に進む。
前回のステージから1年かけて大空あかりはようやく、スターライトクイーンになった当初の北大路さくらのそれと遜色ないステージを作り上げることができた。着々とスターライトクイーンに向けて成長していく姿がこういうところでもみられるのは、個人的にはすごくぐーっとくる演出で惹きつけられます。
個人的には『Blooming♡Blooming』のステージは北大路さくらの方が好きなのですが、今回のステージはその位置づけも相まって特別なものになりました。
と、いうわけで雑ではありますが
『『Blooming♡Blooming』のステージでみる大空あかりの成長―アニメアイカツ!160話感想―』
でした!
おわりー
実写版『バクマン。』、すごく「友情・努力・勝利」で週刊少年ジャンプしていてめちゃくちゃ面白かったという話。
はちゃめちゃな語彙で作り上げたタイトルですが、わりとこんな感じで楽しんできました。実写版バクマン。
基本的に漫画の実写化にはシニカルな立場をとってるんですが、これは良いです、一瞬でアツくなりました。
というわけで感想でもつらつら。
「友情・努力・勝利」
週刊少年ジャンプといえばこれでしょう、お約束。
原作の「バクマン。」の方では実際にはここで小豆との恋愛要素が結構関わってくるわけですが、この実写版、かなり恋愛を削ってきてます。そもそも小豆が名づけの親になる”亜城木夢叶”というPNが登場しないレベル。でも、でもです。
その代わりにストーリーの主軸となるのは「新妻エイジとのアンケート順位争い」。
これがめちゃくちゃいい。この改変が本当に効いてきてる。
漫画以上にその競争に焦点が絞られ、物語全体が綺麗に引き締まってます。
しかも「友情・努力・勝利」のジャンプ王道漫画という”最強への方程式”を存分に扱いながら進むストーリーはもう原作とは別物と言えます。
身を削って、精神をすり減らして、しかし勝利を掴もうとするサイコーとシュージン。
ほんとにこれがめっちゃくちゃアツい。
正直漫画版よりアツいまである。映画で忠実にジャンプメソッドを作り上げてるのがほんとすごい。
それと後述しますが、線を引く音がかなり物語の劇伴のような扱われます。これがシーンごとにこう、意味を持っている気がして、とてもいい。
「音」
私がこのぐいーっと引き込まれたのが、映画という媒体特有の音と動き、漫画では伝わらない五感をフル動員してんなーという演出。
週間少年ジャンプはじめ漫画に慣れ親しんだ人ならだれしも一度はつけペンとインクを買ってきて漫画を描こうとすることがあると思うのですけれど、その時の感覚、つけペンで線を引く感覚というのが音で伝わってくるんですよね。えっそんな経験ない、そんなまさか……。
とはいえ、つけペンの「シャーーーーーーッ」って感覚がすごい伝わってくるんですよ。Gペンの「ガリっ」って感覚とかすごい音と映像で表現している。
たぶんこれ経験なくても結構迫力あるんじゃないかと思います。紙にインクが載っていく感じや、削っていく感じ。
劇伴も相まってめちゃくちゃかっこいいし、むしろつけペンとか使ったことない人にこそ味わってほしいとも思う。
「キャスティング」と「汚れ」
キャスティングに関しては、PVというか予告やキービジュアルが公開された時原作読者の誰もが「サイコーとシュージン逆じゃね」という疑問符を浮かべたんじゃないかと思いますが、これ、5分で慣れます。
観賞後はむしろこれしかありえんと思えるレベルではまってる。
絶対役者は童貞じゃないと思うんですけど、めちゃくちゃ童貞っぽい演技がうまいし、諸々の動きとか逆だったらむしろ違和感があったかもしれないです。
あとこのキャストたち、インク汚れがかなり似合う。めっちゃ男臭い。でもそれがいいんですよねえ……。いやまあそんな汚れんでしょというのは置いておいても。
「ほかこまごましたとこ」
あとキャラクター毎に線の引き方とか音とか、どういう風にべたを塗りつぶすのかとか細かく分けてて芸コマだなあとも。エイジがマジックで感覚的に塗りつぶしていくのと対照的に中井さんがカケアミしてたりだとか。
もちろん漫画の作業工程は省略されて描かれてはいますけれども、決してこう雑にしている感じがないのはめちゃくちゃ好印象でした。
そんな感じでこう、週刊少年ジャンプ的な王道ストーリーが好きな方には是非観ていただきたい映画でした。
「実写版なんて結局焼き直しの劣化コピーでしょう?」
なんて思わず観てほしいなと。
ちゃんと映画という媒体で少年漫画を再構成しているので、一見の価値はあると思いますよ。
おわり。
島村卯月の心情が読み取りにくいたった二つの簡単な理由――アニメ『シンデレラガールズ』雑考察――
はじめに
シンデレラガールズ22話を経て、「島村卯月の心情がようわからん」という声をたまに見かけます。もしかしたらそれ以前からかもしれませんけれど。
今回の記事はそれに関して作品から読み取って考察する……というよりはもしかして文脈を勘違いしてるんじゃないの、ひょっとすると制作サイドが意図的にわからなくしてんじゃないの、と二つにわけて簡単に説明を試みようというものです。
結論を先取りすると、どうなるか考えていこうな! という身もふたもないものになるのですが、お読みいただければ幸いです。
① 文脈の相違――少女漫画の文脈から
ではまず文脈の相違があるのではないかという話から。下記インタビューを参考にしながら考えていきます。
このインタビューで鳥羽P*1の言及が印象深いのですが……
『シンデレラガールズ』と『アイドルマスター』の差別化を図るとなると、アニメ『アイドルマスター』は例えていうなら少年マンガ的なんだと思います。対して『シンデレラガールズ』でやっていることは、かなり少女マンガ的なんですよ。
と、アイドルマスターを少年漫画に、シンデレラガールズは少女漫画に例えて述べています。
ストーリー全体を通して、少女漫画の王道的モチーフであるおとぎ話のシンデレラがなぞられているあたりからも明白ですね。
さらに
さらに今回は前作との違いとしてある種の女性らしさが全面に出る演出も出したいという意図があったんですよ
と述べていて、かなり明確にアイドルマスターとの差別化を図ろうとしていたことが伺えます。実際にここまでの話や演出を振り返ると、例えば画面に花が入るレイアウトやキャラクターの距離感など、女性らしいものになっていますしね。
そしてここが問題じゃないかというのが①の問題意識。
実はかなりの割合で少女漫画的な文脈を読めない人がいるのではないでしょうか。
やはりアイマスのライブなんかに行くと実感しますが、女性のファンも増えてきているとはいえ、ファン層の(つまり視聴者層)中心は男性です。
故に少女漫画文脈だとわかりにくく、少年漫画文脈の方が理解しやすい人が多いのではないかと推測できます。
①‐2 マッドマックスの構造との類似
アイマス以外の近しい実証例としては『マッドマックス 怒りのデス・ロード』についての反応がわかりやすいかと思います。
この作品はかなり明確にフェミニズム(ジェンダーの方が適切かもしれませんが)が表れている作品で、その文脈での感想も上映後あふれていたわけですが、それでも「これは暴力的な表現を楽しむもの」「最低な暴力映画だからいい」*2といった感想も一定数ありました。ここでいう後者が少年漫画的文脈がわかるけれど、少女漫画文脈をわかりにくいと感じてしまう人に当てはまります。
ことマッドマックスに関しては監督のジョージ・ミラーは、インタビュー*3で
本作における〈フェミニズム〉はストーリー上の必然なのでであって、先に〈フェミニズム〉ありきで、そこに無理やりストーリーを付け加えて映画を作ったわけではない。〈フェミニズム〉はストーリーの構造から生まれてきたものなんだ。
とフェミニズムについて述べており、実際には暴力映画以外の視点はあるし、監督もこれは認めているんですよね。
そして、このジョージ・ミラー監督の発言は、少女漫画的文脈、つまりシンデレラガールズにも同様のことが言えます。なぜか。
マッドマックスの持っているフェミニズムの構造は簡潔に言えば、イモータン・ジョー(家父長的性格)と戦うフィリオサ(普段は男性から抑圧される女性)というもの。
対して少女漫画、特に戦う少女漫画もの*4は、旧来のシンデレラ型の少女漫画(女性らしさを磨いて待っていれば王子様が迎えに来てくれる、というような家父長制的指向)へのアンチテーゼとして描かれ、マッドマックスのもつフェミニズムの構造に類似しています。
上に引用している通り、ジョージ・ミラーは「〈フェミニズム〉はストーリーの構造から生まれてきた」と言っていますが、少女漫画に関してもフェミニズムを意図的に取り入れたというよりは、自然とその文脈から生まれてきたものと言えるでしょう。*5
そうしたことを踏まえると、マッドマックスのフェミニズム構造が一定数の映画鑑賞者から理解されなかったように、少女漫画の文脈が――シンデレラガールズの少女漫画的な部分が――理解しにくかったとしても不思議はありません。
② 意図的な空白――考察を前提とした物語構造
さて①では少女漫画的文脈が理解を妨げていると述べました。②では文脈云々ではなく、そもそも島村卯月の心情は全話みないと解けない謎なのだ、という話です。
ここではまた別のインタビューを参考に考えていきます。
上記の記事の終盤、石原D*6の発言を引用したいと思います。
僕は“アニメの楽しみ方”は、もう“1人で楽しむ”ものではないと思っています。アニメは放送開始後、その感想をTwitterで書き込んだり、学校で友達と話をしたり、共有体験をニコニコ動画のコメントという形で感じたりと“皆で楽しむもの”へと変化してきていると思います。
かつて『セカイ系とは何か』のなかで前島賢がモンスターハンターなどのコミュニケーションが主体のゲームを挙げ、物語(ゲーム内のストーリー重視)からコミュニケーション(対面通信や協力プレイ)重視への移行という問題提起をしていたが、シンデレラガールズではその両立をアニメで行おうと考えているのだと思われます。
そういった狙いがあるからこそ、アニメ視聴を通したコミュニケーションを増進させるためにある程度の謎を残しているのではないか、というのが②の主張なのです。
実際にはわからない、というのがある種不満点として挙げられているため悪影響にもなってはいるんだけれど、他方で着実にツイッターやその他媒体で考察がされていたり実況がされていたりと盛り上がっているのは確かですしね。統計的データとかはありませんががが。
そして、その謎の作品で一番大きな部分が、島村卯月というある意味では主人公(とはいえ全員主役が2ndシーズンのテーマではあるのだが)の心情であるのではないでしょうか。
……とはいえ、実は最後までわからない謎もあるんじゃないかという疑念も確かにあるわけですが、①で挙げたインタビューで
──その点では、先ほどのお話のとおり『シンデレラガールズ』には少女マンガのような繊細さを感じますね。
鳥羽:高雄監督は女の子のキャラクター描写に対して、ものすごく練り込まれる人で、その子の思考とか結論に至るプロセスを理解して消化しないと描かれないんですよ。そのぶん時間はかかりますが、できあがったものに対する説得力はどのフィルムよりも強いですね。
こういったやりとりがある通り、少なくとも島村卯月の心情に関してはきちんと練り込まれているし、きちんと物語として示してくれるのではないかと私は思っています。
おわりに
結論としてははじめにで言った通り、みんなどうなるか考えていこうな! という感じです。
②で言った通り、謎は提示されており、そしておそらく答えも出るでしょうから、考察でも感想でも実況でもなんでもいいからやるといいんじゃないかしら、と。少しでもデレマスひいてはアイマスが盛り上がればいいなと一ファンとしては思います。
原作「秘密の花園」とニュージェネレーションズ――アニメ「アイドルマスターシンデレラガールズ」21話感想
アイドルマスターシンデレラガールズ21話が放送・公開されました。
今回は20話でソロ活動を始めた本田未央にスポットが当てられた回で、ストーリーもさることながら、個人的に結構好きだったのが、オーディションで未央が勝ち取った舞台「秘密の花園」のセリフをなぞる演出。アニメアイドルマスター(無印)の24話でも同様の演出がありましたが、その時は劇中オリジナルの舞台でした。しかし今回は原作があります。
そこで原作小説と比較しながら、21話の劇中劇を読み取っていきたいなと。
また原作から表現が変わってる部分が当たり前ですが多々ありますので、該当すると思う場所を勝手に推測して当てはめています。ご了承ください。
「秘密の花園」あらすじ
『秘密の花園』(ひみつのはなぞの、The Secret Garden)は1911年に初版が発行された、フランシス・ホジソン・バーネットによる小説。
インドで両親を亡くしたメアリは、英国ヨークシャーの大きな屋敷に住む叔父に引きとられ、そこで病弱な従兄弟のコリン、動物と話ができるディコンに出会う。3人は長いあいだ誰も足を踏み入れたことのなかった「秘密の庭」を見つけ、その再生に熱中していくのだった。
冒頭、舞台のオーディションのシーン。
未央「変な館に、周りにはなにもない荒野! まったくひどいところだわ! わたしのいた国じゃ、服の着替えから何からみんな召使がやってくれたのよ! 私の言うことは、なんだって!」
原作:インドで両親を失ったメアリがイギリスの叔父の屋敷に引き取られたその日、世話役のマーサとの会話のなかでのメアリのセリフ。
主人公メアリは、イギリスの叔父に引き取られる前は実家で部屋に閉じ込められるように生活していた。ただし黒人奴隷の召使がインドの屋敷にはたくさんいたため、身の回りの世話を自分でしていたことがなく、自分で服の着替えもしたことがなかったのだ。まあつまるところのお嬢様。「私のいうことは、なんだって」というセリフからも伺えるように、メアリは大変我儘で気難しい少女なのである。
本編内では終始、未央が演じる役は主人公であるメアリである。ということは役者としての初めてのオーディションで主役をつかんだということで、演技の才能があったということなのかなと。我儘という部分は置いておいても、気難しい部分を持ち合わせているといった点は、本編中の未央と重なるところがあります。(7話とか)
藍子・茜を含めた稽古のシーン。
茜「そんなことは自分でやることさ。それにね、あんたのいうようになにもないわけじゃあない。外には宝物が一杯さ! あんたには、それが見えないだけ!」
未央「見えないですってえ!」
原作:(たぶん)冒頭のオーディションのシーンと同様、マーサとメアリの会話。茜がマーサで未央がメアリ。
メアリは屋敷に来た当初、マーサにムーア(湿原、屋敷の外の風景)を好きかと聞かれて、「嫌い」「大嫌い」と言い放つ。おそらくそのあとの会話です(原作に同様のシーンがないが会話の流れ的にここしかないだろう)。「あんたには、それが見えないだけ」同じく7話で観客が見えていなかったこと、または20話でNGsにこだわる→外をみようとしない未央を連想させます。
この後、ソロデビューという形でNGsの外に出て、見えないものをみようとする⇒凛と同じ景色をみようとするというところにつながってくるのかもしれませんね。
Aパート最後、稽古シーン。
未央「コマドリさんは、ここが秘密の花園だって教えてくれたわ。でも大丈夫かしら、みんなすっかり枯れちゃって……」
藍子「何を言うんだい? ほら、あの青々とした木の上(芽)を見てごらん」
未央「これ、生きてるの? じゃあ、あのバラは?」
藍子「俺らと同じさ、ぴんぴんしてるさ」
未央「バラは、この花園は、生きているのね!」
原作:マーサの弟・ディコン(Dickon)をメアリが秘密の花園に入れたときの会話。長い間手入れされず荒れている花園をみたメアリは、ディコンに協力を仰ぎ、秘密の花園の復活を考えいる。藍子がディコン役、未央はメアリ役。
タイトルにもなっている「秘密の花園」は、屋敷の庭の中にある壁に囲まれて入れない庭園である。そこは亡き伯母が生前大切にしていた場所だったがあることをきっかけに彼女の死後、伯父の令により閉じられていた。コマドリの導きにより土に埋められた鍵と、蔦に隠された扉を見つけたメアリはこの打ち捨てられた花園に「秘密の花園」と名付けて、自分で花園を復活させようとしています。引き取られた当初のメアリは不健康でやせ細っていたが、このころになると庭を駆けまわっていたこともあって徐々に健康的にふっくらと、そして社交的に人と関わるようになっていて、人間としてだいぶ成長しています。
7話以降の未央の成長と重なります。もともと未央は社交的でしたが、No_makeの8話ではエンジニアの人に相談しに行っている様子が、18話では奈緒や加蓮に対して世話を焼く様子が見受けられます。
そして極めつけはソロ活動の決断でしょう。理解するために、リーダーとして一歩進む決意をした。
そしてこのセリフの後に、未央がなにかをつかんだようなカットが入ります。
未央にとってすれば、凛のトライアドプリムスへの参加は、枯れた庭園を見つけたときのメアリの心境と重ねあわせることができます。メアリは庭園を見つけたことを喜ぶ一方で、もしかするとこの庭園は花も何も枯れ果ててしまっているのではないだろうかと不安を感じます。NGsが一緒でいられなくなるのではないかという不安を未央は感じていたのではないでしょうか。
そしてわからないから、確認しようと決める未央は、舞台のこのシーンで庭園が生きている可能性を、NGsの将来の可能性を重ねあわせたのではないでしょうか。
……というか少年役の藍子ちゃんとかすごいよくないですかどうでもいいですかそうですか……。
屋上の庭園でのNGsでの演劇①
未央「あんたみたいな勝手な人なんて、もう知らないわ!」
卯月「坊ちゃま、落ち着いて……」
凛「僕はもう生きられないんだ、ベッドから動けなくなって……。僕はもう春が来る前に」
卯月「ああ、可哀想な坊ちゃま……」
未央「馬鹿ね、あんたはちっとも弱ってなんかないじゃない! あんたの病気の半分は、あんた自身よ! 自分に呪いをかけてるんだわ!」
卯月「ああ、メアリさんなんてことを……」
原作:このシーンで凛が演じているのは、メアリに秘密にされていた伯父の息子(メアリーの従兄)・コリン(Colin)。生来病弱でベッドからほとんど出たことの無い彼は、メアリと同様両親に愛された記憶の無い少年。メアリ同様に彼も、我儘で気難しく、やせっぽちで、秘密の花園のもう一人の主人公です。そんなコリンが仲良くなったメアリにほったらかしにされて喧嘩になり、その夜ヒステリーを起こした時の会話。メアリはヒステリーを鎮めるためにコリンを怒鳴りつける。*1未央=メアリ、凛=コリン、卯月=看護婦。
20話をなぞっているような会話。
勝手な人=相談もなくトライアドへ参加を決めた凛。
動けない、春が来る前に→秋・冬のライブとNGsとトライアドのなかで葛藤している凛。
呪い→NGsでありCP。気を使って動けない様子。(ちなみに原作では「呪い」ではなく「ヒステリーとかんしゃく」である)
看護婦(卯月)→メアリ(未央)とコリン(凛)両方を気遣っている、どっちつかず。
(原作だとコリンに負けず劣らず我儘で傲慢ちきなメアリをぶつけることによって、看護婦たちはそのヒステリーを抑えようとするという描写が入っています。卯月は振り回されているようにも……)
メアリとコリンはとても似ていますが、メアリの方が早く成長していきます。我儘な性格はそれなりに穏やかに、やせっぽちだった体は健康的に、薄かった髪はふんわりと、そして仏頂面で不機嫌な顔しか見せなかった表情は、新しいものに出会っていくことで次第に笑顔を張り付けるように。
凛と未央も同様です。未央の方が早くソロ活動を開始、一足先に葛藤を乗り越えて、新しい一歩を踏み出し成長していきます。一方で凛は前回からずっと葛藤してまだ前に進めていなかった、と。
屋上の庭園でのNGsでの演劇②
凛「僕は君と違って、体も弱くて……本当に外に出られるの……」
未央「私だってここに来たときは体も弱くて……それに外だって大嫌いだったわ」
未央「でも、マーサやディコンが教えてくれたの! 外は宝物でいっぱいだって!」「 そうよ!」空は高くて、ハリエニシダやヒースやバラが芽吹いているの……外の空気を、いっぱいに吸って!」
凛「僕も、いっぱい吸えるかな……」
原作:ここは流れとして①と原作だと繋がってないんですが、初めてコリンとメアリが話したシーンに近いかなと。ここからのシーンは原作かなり改変してます。ちなみにコリンはベッドに寝たきりで、移動は車いすで行っています。未央=メアリ、凛=メアリ。
ここからはたぶん21話から。
本当に外に、トライアドとして活動していいのかと不安に思う凛。外が、NGsがダメになることが嫌な未央。その中で一歩踏み出した未央は、そこから見える景色を演劇のセリフに込めて語り、凛も一歩進もうとします。
演劇中のシーンにはありませんが、コリンは「「秘密の花園」に入れたらきっと大きくなるまで生きられると思う」というようなことを原作だと言っています。
屋上の庭園でのNGsでの演劇③
未央「そう、私には冒険だった」
凛「僕は、君のみているものをみたかった」
卯月「コマドリの呼んでいるあの花園!」
凛「なんて美しいんだろう、僕はもっと早くに、ここにくるべきだったのに」
原作:コリン、メアリ、ディコンの3人で秘密の花園に入るシーン。メアリはコリンに、秘密の花園を見つけるまでの話を実際にその場所を示しながら話していきます。そして花園に入ったコリンは、今までの彼とは別人のような少年の笑顔を見せます。未央=メアリ、凛=コリン、卯月=メアリorコリン(?)。
ここで卯月の役どころが微妙にわからなく。「(ここが)コマドリの呼んでいるあの花園(です!)」ならメアリだし、「(ここが)コマドリの呼んでいるあの花園(か!)」ならコリンとも取れます。あいまいな立ち位置。でもどちらでもないのかなとも思います。
君というのは未央とも取れるし、階段を先に上りきった加蓮とも言える……?
もっと早くに、というのはトライアドとして一歩を踏み出すか否か、呪いを早く振り払うべきという意味かなと。
屋上の庭園でのNGsでの演劇③
未央「うん、ごめん。待たせて」
未央「大丈夫、これからだもの! 明日も明後日も、ここに来ましょう!」
卯月「そうさ、春の次は夏、その次の秋も、冬も。ずっと、ずっと……」
原作:待たせて、というセリフは原作にはありませんのでアドリブ。加えてその次の秋も、冬も、というのも原作にはないので改変ですね。未央=メアリ、卯月=コリン。
ここ、とはどこだろう。未央のいう“ここ”に卯月はいるんだろうか。
冒頭、凛の「未央、待って」への返答かしら。なんでソロ活動したのかという。
待つ、というのは意外と重要な表現のような気がします。リーダーとして、ここに連れてくるのが遅れて、待たせてごめん、という意味なのかなと個人的には思います。
屋上の庭園でのNGsでの演劇④
未央「恐れずに踏み出せば花園は、私たちを待っていてくれるわ!」
凛「花園は生きる輝き」
卯月「花園は魔法の場所」
All「花園は、私たちの心」
原作:花園は原作のなかでいろいろなものに暗喩されます。魔法、生命etc......。ここでの答えは私たちの心でいいんじゃないかと思います。荒れていた花園は立派に花を咲かせますし、この後コリンは、秘密の花園に通うようになり、メアリと同様に健康的に愛想よく、車いすから自分の足で立てるまでになります。だからこそ、花園は生きる輝きであり、魔法の場所足り得るのです。
全体を通して色々
・配役
劇中劇の配役は
- 未央=メアリ
- 凛=コリン
- 卯月=看護師・コリン・メアリ
といった感じになっています。
固定化されている配役は凛と未央のコリンとメアリ。そして秘密の花園の主人公は、コリンとメアリの2人。
故に21話の主人公は、一歩先へ進もうと決意した凛と未央であると言えます。
他方、卯月は今回は主役のセリフを言うこともありますが、基本的には脇役がメインになっています。脇役は主役を一歩進ませることを助けることはあっても、自分が一歩進むことはありません。彼女らの道を妨害するわけにはいかないのです。だから今回は先に進めませんでした。
・なんで突然の劇中劇なのか
A.演出
まっとうなコミュニケーションは20話の時点で一回失敗していること、また言語化して話せる状況じゃなかったということなのかなあと。何故ソロ活動を開始したのかという問いをなんども投げかけられているにも関わらず、その答えを避けていることから推測できるかと思います。
どうして自分がソロ活動を開始したのか、という問いに関して、実際に見てもらった方がいいと考えるのはわりと自然じゃないでしょうか。パッション属性ですし、衝動的に動いてる可能性は高いですね。
今後の展開予想とか
22話は渋谷凛回、秋の定例ライブできっといい笑顔を見せてくれるはずです。
そしておそらく23話は島村卯月回でしょう。今回も一杯爆弾ばらまいていきましたしね……。
卯月に関しては、普通の女の子、というのがキーワードになってくると思います。
シンデレラに憧れるだけの、シンデレラストーリーに憧れるだけの女の子。王子様を待つだけの普通の女の子、それが島村卯月です。
プロデューサーがかぼちゃの馬車であるならば、シンデレラストーリーに登場する王子様は美城常務です。そして島村卯月は、王子様に選ばれることはありませんでした。
あくまで島村卯月を選んだのは、かぼちゃの馬車たるプロデューサー。であるならば、その馬車を動かすのはだれでしょうか。それはきっとシンデレラその人です。
だからこそ、島村卯月は一人で立ち上がり、進むのだと思っています。待つだけのプリンセスから、自分から前進する王子様へと。
とか漠然と思っているのであまり暗い話にはならないんじゃないかなあとか考えています。なにしろ「生ハムめろーん」が楽しみでならないので最終話が楽しみですはい。
以上、原作「秘密の花園」とニュージェネレーションズ――アニメ「アイドルマスターシンデレラガールズ」21話感想でした。
記事を書く際に読んだのは光文社古典新約文庫版になります。
ちなみに英語版なら無料で読めますよ。
おわり。
*1:ヒステリーの原因は思い込みだったりします。背中にこぶができて死んでしまうのではないかと不安になったコリンは、どうせ死ぬんだとヒステリーを起こします。メアリは無理やり背中を確認してこぶなんかないと声を荒げます。やせ細って背骨が出てきたのを、こぶだと勘違いしていたのです。
プロデューサー回として観るアイドルマスターシンデレラガールズ20話、感想
アイドルマスターシンデレラガールズ20話、「Which way should I go to get to the castle」が放送・公開されました。
あらすじ(公式HPから引用)
美城常務が新企画をスタートさせた。
『Project:Krone』
それはアイドルの中から美城常務が直々に選抜したメンバーによるプロジェクトだった。一方シンデレラプロジェクトは突然、346プロダクションの秋フェスで実力を審査すると告げられていた。そのライブで実力が認められなければ、冬の舞踏会を待たずに部署の解散が決定してしまう、と いう通告に動揺するアイドルたち。混乱が広がる中、凛とアナスタシアがProject:Kroneに選ばれてしまい……!?
ブログの構成はこんな感じ。
- プロデューサーと美城常務の19話までの対立構図
- 利己的な人物として描かれるプロデューサー
- 二項対立構図の変化
- プロデューサーを導くアイドル
- 笑顔が失われない場所
- 島村卯月と今後の展開
今回はニュージェネレーションズとラブライカにスポットを当てた回で、最後には未央がソロデビューを決めたりと節目の回にふさわしい話数となりましたが、ただブログではアイドルから一歩離れて、プロデューサーにスポットを当てて感想をつらつらと書いてみました。
・プロデューサーと美城常務の19話までの対立構図
シンデレラガールズでは2ndシーズンになってから、アイドル事業部に突然やってきて事業の立て直しを図る美城常務と、CPをはじめとする現場のアイドルの対立を描いてきました。構図としては美城常務をプロジェクトをつぶそうとする悪役として描かれ、それにプロジェクト存続を賭けて立ち向かうプロデューサーいうものになっていたわけです。
急進的な改革を進めるあまり15話では楓に、19話では夏樹に企画を蹴られてしまった美城常務と、お笑い組や夏樹を引き込みつつ冬の祭典への準備をゆっくりながら着実に進めていくプロデューサーの対比はわかりやすくそれを示しています。実際、視聴者の反応をみても常務が無能と言われたり、そのやりかたに疑問を呈す声も多かったですしね。*1
・利己的な人物として描かれるプロデューサー
ですが、今回の20話では、美城常務が立ち上げたProject:Kroneによってその二項対立的な構図がガラッと変化します。
少しずつ視点が客観的になって、プロデューサーの利己的な面が描かれていきます。
冒頭の秋の定例ライブの命令への対応が印象的ですね。
美城常務によるProject:Kroneに渋谷凛とアナスタシアを入れようという提案に、アイドルが返答する前に「あくまでCPがあるのでそれは」と我先に反対するプロデューサーは、それゆえに美城常務に「個性を尊重するのが君の方針だったと思うのだが」と言いくるめられてしまいます。
この後のシーンでも、部長に「二人にとって決して悪い話ではないと思いましたので」とこぼす台詞からもわかるように、不満はあるけれど言い分もわかるから一応従っているという感じがあります。また、アナスタシアからの相談に「気が進まないのであれば……」と不参加を予想して確認していることからも、明確に本編で述べられているわけではありませんが、アナスタシア・凛が常務の誘いを断ってくれるのではと期待していた部分があったように思われます。
・二項対立構図の変化
上記のようなプロデューサーの利己的な側面が出るシーンを踏まえると、悪役:常務、ヒーロー役:プロデューサーという構図が疑わしくなってきます。プロデューサーは、CPに固執することがアイドルたちの成長を妨げているのではないか、という美城常務の問いに答えることができませんでした。自分の考えが、やりかたが正しいのかどうかを見定められなかったからだと思われますが、その限り、むしろアイドルたちの悪役は彼であり、ヒーロー役が美城常務になる可能性もあり得るわけです。
・プロデューサーを導くアイドル
その曖昧な姿勢を変化させるのが、自身のプロジェクトで、自身が導いてきたアイドルである凛とアナスタシアでした。
凛はあまり笑うこと自体が少ないキャラクターですが、加蓮と奈緒のトライアドプリムスの3人で歌っているときの表情は、印象に残るものでした。結果としてこれがきっかけで、凛はトライアドプリムスへの加入を決定することになりますが、プロデューサーもこれを目撃します。
その後のシーンで、プロデューサーは夏フェスの写真を見つめてなにかを考えてる様子が描かれます。この時点ではどうするかを決めきれていない、おそらくアイドルの意志を尊重するか、CPとしての現在の形を維持し続けるかのはざまにあるのだと思われますが、その姿は不安なこと、新しいことに踏み出すことに葛藤するアイドルの姿と被ります。
そしてその意思を確定させたのが、アナスタシアとの対話でした。相談を持ちかけてきたアナスタシアに、まずプロデューサーは「気が進まないのであれば……」と確認しますが、それを彼女は否定します。アナスタシアもまた、他のメンバーが先に進んでいること、12話合宿回の美波の「一歩踏み出してよかった」まだわからない、不安だけれど、冒険してよかったという告白を思い出して、自分も同じように、新しいことに挑戦したいとソロデビューを決めたことをプロデューサーに告げます。それを聞いて、プロデューサーはProject:Kroneとして新しい一歩を踏み出そうとするアイドルの意志を尊重することを決意します。
・笑顔が失われない場所
プロデューサーはアナスタシアとの会話の中で、「あなたは、今度のプロジェクトに参加して笑顔になれると思いますか?」と問うた上で、「それがどんな道であっても、乗り越えた先に笑顔になれる可能性を感じたなら、前に進んでほしいと、私は思います」「あの時の笑顔の、もう一歩先をみつけられると思うのでしたら……、私は全力でその道をサポートします」と言ってみせます。
この発言は、CPの存続を賭けて美城常務と対立するのではなく、「笑顔が失われない場所こそが、彼女たちの城になると、私は思います」というNo_makeでの台詞通り、現在のCPに固執することなく、「笑顔が失われない場所」をつくることを決めたことを決意したもので、2ndシーズンでのプロデューサーの立ち位置を明確にする大切なシーンだったと思います。
・島村卯月と今後の展開
とはいえその決意の裏側では、今回のトライアドプリムスへの凛の参加によって、ニュージェネレーションズのメンバーのなかには亀裂が入ってしまいました。特に卯月はある意味で宙ぶらりんの状態で、笑顔も曇ってしまっています。凛のトライアドプリムスの参加、未央のソロデビューは、さすがに自分が頑張れば済むことではありません。
ただしもともと卯月には、自分に対する自信のなさのような問題があるように思います。6話の段階で彼女は、インタビューもダンスもラジオも、ライブ前ですら、他の2人の力があったからこそ乗り越えることができました。だからこそ主体性の持った行動ができない、行動や意見に関して他者に共感し、依存してしまう弱さのようなものがありました。そして今回も、凛からトライアドプリムスへの加入についての告白に、なにも言えなかったように。
今後の展開としては、凛はもちろん、未央もソロ活動を始めたために、秋の定例ライブでは卯月はソロか美波・蘭子とのユニットでの活動が予想されます。
私は恐らくソロ活動になると思っています。というかソロで活動しなければならないとさえも。そしてすごい個人的な願望を言えば、ソロでS(mile)ING!を歌ってほしい。
卯月に足りないのは、自分の意見の地盤になるものです。秋の定例ライブまでに得なければならないもので、そしてそれはユニット活動やプロジェクト全体の活動ではなく、ソロでの活動によって、自分自身の手によって築き上げなければならないものでしょう。それこそがプロデューサーが目指している場所の一端である、島村卯月にとっての「笑顔が失われない場所」に必要なものであると思います。
・終わりに
本当はNGsとラブライカの対比、未央*2 と卯月についての記事を書く予定だったのが、前置きでプロデューサーのこと書いてたら長くなってしまったので独立した記事にしました。というか21話当日になってしまいました。うづりん回なのからんみな回、どっちなんだろうか……。
そこそこ長くなりましたが、ここまで読んでくれた方、本当にありがとうございます。
以上、感想でした。
関連過去記事
6話の卯月について
Diary:6月あたりから見たアニメとか読んだ本とか
読んだ本とか観たアニメとか、雑記です。
小説
辻村七子「螺旋時空のラビリンス」
螺旋時空、その言葉から察せる人もいるでしょうが、SFタイムリープもの。
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これを読む前に伊藤計劃作品を読んでいたので、正直かなり分量・質量ともに重いものを予想していたのですが、SFとしてしっかりしつつ、軽い読み口で仕上がっていてとてもよかった。こう綺麗に世界観を描けて、平易な文体でというのは純粋にすごいなと。
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伊藤計劃(虐殺器官・ハーモニー)
どちらも救いがない、ただ美しいなと。
こう、感想が出てこないことがつらいですね。
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新書
原田泰「ベーシック・インカム」
1.2.3章ともに本筋から外れる部分の論理展開には首を傾げたくなる。ちょっと適当言い過ぎではと思わなくもないですが、著者のBiの議論の出発点は「直観的に貧困をなくせるとわかる」だろうという感じだったので仕方ないのかな……とは。
ただ、2章富の分配の正当性という問題、3章の本題であるB・Iの実現可能性の考察は面白かったし興味深かった。
難点があるとすれば、新書という形態上仕方なかったとは思うのだが、全体的に議論の叩き台レベルという印象は否めない。もう少し厚く、かつ案山子殴りのような批判への反論ではない内容を固めたものを読んでみたい。
……とはいえ立場上いまは忙しそうなので暫くはないかとも思いますが。
従来Biに興味のある人は3章だけ読めばいいかなと思います。
坂井豊貴「多数決を疑う」
現在政治をはじめとして、日常の様々な場面で多数決という手法が用いられるけれども、果たしてその手法は何にでも使える手法なんだろうか。
例えば達成できもしないような耳触りの良い政策を述べてどこかの政党の議員が当選したとして、結果としてそれと真逆の政策を行ったとする。その時問題があるのはその議員や政党だけなのだろうか、実はそうせざるを得なくしている原因は、その決定手法、多数決にあるのではないか。
そういった問題意識から始まる本著は、その多数決の理論的欠陥・現実問題として発生している欠陥を指摘し、新たな選択ルールを提案する。
社会的選択理論は数学的な話ではあるけれども、文系の私にも理解しやすくまとめられていて、ぐいぐい読み込めました。
過去アニメとか
作画にもストーリーにも癖有、でもそれがたまらなくいい。インサイトに期待。
暗い(面白い)
シンフォギア
なにこれめっちゃあつい……。
ニコ生一挙で視聴。ところどころシュールな部分はあったけど、それを焼き尽くすような熱さでした。
6月はあまり本も読めず、とくになにをした覚えもなく。うーんという感じ。
ここから少しずつ読書量を増やしていきたい(願望)。です。
以下ほんのりんくとか
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